私が
上村松篁の日本画を始めて見たのはデパートの日本画展です。その頃、
川合玉堂の絵が実際に見たくて青梅市にある
「玉堂美術館」に行き、ますます日本画のファンになっていました。
上村松篁の花鳥画の美しさに惹かれましたが、その後に母である
上村松園の絵を見たときには、「なんだろう・・・この空気は・・・張りつめた・・・」という思い。決して、題材が緊張感のあるものではありません。美人画ですから。
もう、これは、奈良の
「松伯美術館」に行くしかありません!
美術館には、
上村松園の大きな写真が展示され、画室で絵を描き始める前には自身を清めたという説明書きがありました。そして、絵を見たときに、あの張りつめた空気は凛とした線からくるのだと感じたのです。線がちがう・・・
「青眉抄」は昭和18年に上梓され、昭和47年に刊行されたものを平成7年に復刻したものです。これを読むと、幼い頃から絵に才能を発揮していた事、そしてその絵のために全身全霊を注いだ努力家だった事がよくわかります。
縮図やスケッチには常に筆をつかうのは、筆をつかえばそれだけ、筆の線も上手くなる訳で修業になると書いています。レベルが天と地ほど違うのですけれど、この姿勢は、とても大切なのですよね。
有名な
“母子”という日本画は子供抱く母を描いたものですが、母親の眉は薄くて、今の私たちには馴染みのない眉だなあと思っていたら、こう書かれていました。
・・・・青眉というのは嫁入りして子供が出来ると、必ず眉を剃りおとしてそうしたものである。
これは秀でた美しい眉とまた違った風情を添えるものである。
結婚して子供が出来ると青眉になるなどは、如何にも日本的で奥ゆかしく聖なる眉と呼びたいものである。・・・・
そして剃りたての青眉はたとえていえば闇夜の蚊帳にとまった一瞬の蛍光のように、青々とした光沢をもっていてまったくふるいつきたい程である。・・・
本当にそういう感じなのですよ。他の美人画の眉もとても表情のあるものだと思いますが、とくにこの“青眉”は、父を早く亡くし、絵を描く事を支え続けた上村松園の母の眉だったと書かれています。
・・・・私のいままで描いた絵の青眉の女の眉は全部これ母の青眉であると言ってよい。青眉の中には私の美しい夢が宿っている。・・・・
明治生まれの上村松園に惹かれるのは絵から伝わる“生き方”なのかもしれません。
(資料:青眉抄)