☆ 篆書 ☆(テンショ)
先日の漢文の勉強会で、講師の先生が「
"隷書(レイショ)"と"
八分(ハップン)"は違います。
隷書には
波磔(ハタク)がありますなどと言うのは間違いです。」とおっしゃいました。
そうそう、前にそのような話を伺った事がありましたが、実際、自分が説明する時には、
隷書には
波磔を書いて説明している事を思い出して、慌ててしまいました。この時期になると、年賀状にレイアウトする「干支」の
酉の文字についてよく聞かれます。
書体の成り立ちは、私の不勉強さも手伝って、どうも理解できないところがあり、特に、
大篆と小篆と隷書の違いを曖昧にしていました。
しかし、書体の成り立ちは向き合って見ると、時代を諸に反映していること、その時代の宗教観ととても密接な事など、おもしろいものです。少しずつ、お話を聞いてください。
「秦の始皇帝が李斯(リシ)に命じて、文字の統一を
はかった。」という話は有名ですが、その時の
文字が左の写真です。
赤丸をつけた部分が下の写真の文字とは
ずいぶんと違っているように思います。
それまでの
大篆(ダイテン)に対して、
小篆(ショウテン)と呼ばれ、
時代により
秦篆や
漢篆にわけられます。
(秦:前221~前205ころ)
それでは、
大篆はどの様なものかというと、
右の写真の文字で、これはなるほど、
象形
文字に近いなあと、違いがわかります。
(周:前1100~前220ころ)