KOYU筆ペン教室--美しい文字を書くお手伝い--ゆっくり流れるひと時をお楽しみください

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カテゴリ:◇書◇の豆知識( 46 )

明朝体のことを少し

 図書館の新刊の中に、「日本語活字ものがたり」(小宮山博史/聖文堂新光社)という本を見つけました。<明朝体>のことを知りたかったので、丁度おもしろく読んだところでした。そこで、掻い摘んで9月9日のお教室で皆さんにお話をしました。以下はその内容です。

 活版印刷での<明朝体>の登場は、キリスト教の伝道のために、漢字聖書や布教小冊子を大量に印刷する必要性と深く関係しています。8世紀に中国人の手でなされていた木版印刷の<明朝体>は、鋳造法と高い印刷技術を持ったヨーロッパ人の手で工業製品としての金属活字となります。なぜ、<明朝体>だったかというと、縦線は太く、横線は細くて<うろこ>と呼ばれる三角形のある特徴が、当時アルファベットで主流だった<ローマン体>と似ていたからだそうです。

 美しい姿の明朝体は、篇と旁のバランス、上下のバランスの組み合わせの方法、鋳造法などの発達により作られていきます。本の中にはなんだか歪な<明朝体>が出てきます。(皆さんにも見ていただきました) 

 日本の近代印刷の<明朝体>は上海の美華書館という印刷所から、ウィリアム・ギャンブルを本木昌造が招聘した時から始まります。1858年のことです。

 その後、弘道軒という印刷所の依頼で、書家の小室樵山(1842~1893)が揮もうして、<弘道軒清朝体>が作られています。実は、このすぐ後に、築地活版が同じように楷書体の版下を書かせて、一悶着あるのですが、そのことについて本の中で、このようにふれています。「人びとが言葉に出さないにしても長い間親しんだ毛筆手書き文字への愛着があり、その活字化としての楷書体を欲していることを強く感じていたと思われます。」

 フォントの王様(と私は思っています)の<明朝体>にこんなに歴史があったことにびっくりして、またまた興味も増しました。本の中には、形の違う<明朝体>を見ることもできますし、カタカナ、連綿文字も登場します。
     (資料:「日本語活字ものがたり」/小宮山博史/聖文堂新光社)
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by sumi-moji | 2009-09-10 21:30 | ◇書◇の豆知識

書論研究会・・・

 毎月1回のペースで行われる書論研究会。
 現在は「書譜」がテーマです。草書体の練習に必ず登場するものですから、馴染みもあり興味深い。と言っても、次から次にS先生が挙げられる歴史上の人物の名前に書論の名前・・・頭の中は
<漢文>・・・となり終わります。
 
書譜165行~
・・・六書即ち文字は黄帝の世に始まった。それから書體が変遷して、八體もできたというが、それは秦の始帝の時代に、李斯が小篆を制定したことによって完備した。・・・(書譜/田邊萬平解義)
 文字の成り立ちと書体について述べた箇所です。六書とは象形・指事・形声・会意・転注・仮借。

 補足として、<説文解字(せつもんかいじ)序>(後漢/許慎)のこの箇所を挙げられた。ふむふむ・・・
「・・・倉頡之初作書、蓋依類象形、故謂之文。其後形聲相益、即謂之字。文者、物象之本、字者、言孳乳而浸多也。著於竹帛謂之書。書者、如也。・・・」
 <文>と<字>と<書>の定義。<文>は、「日」や「月」のような象形から作られたもの。<字>は、<文>と<文>を組み合わせたもの。・・・ふむふむ・・・だから「文字」ね・・・組み合わせていれば<字>はどんどんと増えていきます。そして<書>は<文>や<字>を竹や布に書いたもの。と、大ざっぱな訳はこうなります。一言に<文字>と言ってもこういう所からきていたのですね。
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by sumi-moji | 2007-12-11 22:41 | ◇書◇の豆知識

鶯宿梅-おうしゅくばい-梅にうぐいす

 朝一番の予約で歯医者さんへ出かけます。休みをいいことに片道40分をテクテクと歩きます。「そんなにきょろきょろして歩くと、このご時勢ひったくりに遭いますよ!」と叱られるのですが、あっちを眺め、こっちを眺めて歩くのはやめられません。
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 川へ出ると鴎(かもめ)が橋の欄干へ集まっています。おじさんの呼ぶ声に応えているのです。まだまだ蕾の梅が残っているこの季節、冷たい風が吹く中を気持ちよさそうに飛びかう<鴎>。この字の音読みは<おう>です。
 好い取り合わせの例えの一つに、<梅と鶯(うぐいす)>ということわざがあります。<鶯>。この字も音読みは<おう>です。
 
勅なれば いともかしこし鶯の 
       宿はと問はば いかが答えむ

村上天皇に献上する梅の枝に、梅の持ち主が心のうちを詠んで結びつけた歌です。
 -天皇の思し召しとあらば、謹んで献上いたします。 ただ、毎年この梅の枝に宿る鶯に「私のお宿はどこでしょう」と尋ねられたら、なんと答えましょうか-この歌を見た天皇は持ち主に梅を返したというのが「鶯宿梅」の故事です。
 もともと、<梅と鶯>は中国から渡ってきた組み合わせ。漢詩にもこの二文字はよく登場します。本来、鶯は虫を好み、<めじろ>のように花の蜜をつつきに梅の枝にとまることはあまり無いそうです。<鶯>は<めじろ>を見間違えているのではないかともいわれます。
 <鶯>は<めじろ>よりも少しだけ茶色がかっていています。目を見れば一目で<目 白>とわかりますが、遠目には似ていますね。
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 一心に花に頭をつこんで密をすっている丸いお尻!
 よい取り合わせの例えとして、その他には
   柳に雀  紅葉に鹿  獅子に牡丹  波に千鳥  牡丹に蝶  松に鶴 
 こんなのもあります。
   猿に絵馬  桐に鳳凰
 書いている途中から、“花札”はどこへ仕舞ってあるだろうと気になってしょうがない私です・・・^^。   
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by sumi-moji | 2007-02-16 14:29 | ◇書◇の豆知識

雪月花

 1月のハガキに使った3文字は<雪月花>です。
 ずい分前から冬になったらこれを使おうと決めておりました。それも、パールの入った顔彩を使って。
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 <雪月花>は四時(春夏秋冬)の好い眺めのことをいいます。

  -せつげつかのときもっともきみをおもう- <雪月花時最憶君>という詩の一節です。
  唐の白楽天(白居易)が
  -きんししゅのともはみなわれをなげうつ- <琴詩酒友皆抛我>に続けてこの言葉を書いています。
  琴詩酒友皆抛我  雪月花時最憶君
 もともとの詩から離れても、雪と月と花のそれぞれの色を感じる、なんともロマンティックな言葉です。
    
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by sumi-moji | 2007-01-11 21:52 | ◇書◇の豆知識

寒中お見舞いもうしあげます

 新しい年も9日となり、松飾を外すお宅も見受けられます。
 正月飾りは29日と31日は避けてと毎年慎重に決行します。29日は九松(苦に待つ)、31日は葬儀の一夜飾りに通じるといわれ、27日ごろを目どにします。
 しかし、11日の鏡開きも待たずに<ゴミだし日>を睨みながら松飾を外す-これはまずいかしらと・・・。
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 年賀状も一区切りとなり、ハガキはそろそろ<寒中見舞い>の季節です。
 ドジな私は、どうしてもいただいていた住所変更のハガキが見つからずに、昨日やっと見つけてご挨拶を1枚、そして、いつもお店に飾ってくださっている方へ1枚と書きました。

 今月の「筆ペン教室」のお手本の中にも、<寒中見舞い>を用意しました。
    ●松の内(1月7日)に賀状を出せなかった方へのご挨拶に
    ●喪中の相手へ、または、自分が喪中の時のご挨拶に
 そして、立春(2月4日)の前日までお出します。それ以降は、<余寒見舞い>といたします。
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by sumi-moji | 2007-01-09 10:16 | ◇書◇の豆知識

古文書講座は中世へ・・・

 9月の第一土曜日から福岡市総合図書館で開かれている古文書講座は今年で10年目を迎えるそうです。10年という年数も驚きです。どおりで、熱心に質問をされる方も多いはずです。
 先週が<古代>。<古文書>の定義から日本古代公式(くしき)文書様式の成立の大まかな流れを聞き、唐公式令とそれを継受した日本の公式様文書との比較も興味深いものです。
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 そして、今日は<中世>。-荘園文書をよむ-というタイトルで行われました。荘園・公領の世界の説明のなかで、土地土地による年貢の多様性を知ることができました。
 写真は、「源頼朝袖判下文」(みなもとよりともそではんくだしぶん)。
 "袖"というのは左余白のこと、"端"とも言うそうです。"判"はサインのようなもの、<花押>(かおう)と言います。左余白にサインのある下文ということなのですね・・・実際の大きさはB4判を一回り小さくしたくらいだそうです。この手の文書(恩賞や裁判についてのもの)は楷書で書かれています。ただし、この文書では頼朝が書いたのは<花押>だけ・・・。
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 こちらは源義経自筆書状です。紙は貴重ですから、裏紙が大切に使われます。読み下しも興味がありますが、今日などは<残画>について触れられたところはもっと鮮明な画像で詳しく聞きたかったなあと残念でした。<残画>があるのは右の方の文書の一番最後の行で、草書体の門のところです。(写真ではわかりにくいです!)
 左の<花押>は、上2つが頼朝、下2つが義経だそうです。
 「鹿子木荘事書」、「紀俊守自筆言上状」では当時の様子を垣間見ることができ、これも古文書の醍醐味です。
 さあ、来週は<近世>となります。
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by sumi-moji | 2006-09-09 21:31 | ◇書◇の豆知識

蘭亭叙(らんていじょ)は3月3日に・・・

 3月の葉書きに書いた「恵風和暢」のお話です。
 この言葉は<蘭亭叙>の中の一説だと書きましたが、それではいつ頃、誰が、どこで?そして、何を書いたものか・・・

   いつ・・・・・・  永和9年(353)<東晋>
   誰が・・・・・  王義之
   どこで・・・・  会稽山陰(かいけいさんいん)の蘭亭
   何を・・・・・  曲水の宴を催した王義之が、宴に感激して
            書いた序文

と、されています。王義之は永和7年(351)、49歳の時に浙江(せっこう)の会稽内史につき、右軍(ゆうぐん)将軍という肩書きを得ます。王義之はこの地を愛し、永和9年3月3日、春の禊(みそぎ)の儀式のあとに、曲水の宴を催します。そこに招かれたのは、当時の名士41人。
 耳杯(じはい)-この名称を聞くとばっちとイメージできますね-を曲水に浮べて、杯が流れつくまでに詩のできない者は罰として杯の酒を飲む・・・多くの詩ができあがり、王義之はそのすばらしい宴に感激して序文を書いたとされています。

 福岡の大宰府でも曲水の宴が開かれます。日本に伝承され、漢詩を和歌にかえて貴族社会に広がっていったのですね。

 残っているエピソードの1つに、筆は鼠鬚筆(そしゅひつ)が用いられたというものがあります。ねずみのひげを集めた筆!!!  うっ、どんなねずみ???
 しかし、王義之の真跡(かれ自信が書いたもの)は唐の太宗の死後に昭陵(しょうりょう)に随葬されたといわれいます。多くの謎に包まれて墨帖、刻帖が伝えられています。 
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by sumi-moji | 2006-03-03 21:51 | ◇書◇の豆知識

短冊に短歌を・・・

 那珂川短歌会の会員の私です^^
 11月にある文化祭に短歌の展示があるそうで、今日は
      今年一番のでき(^^;)の夏の作品を短冊へ書き込みました。

 さて、短冊の書き方は・・・
 今は短冊一杯に文字をのせて、落款を入れている作品をよく見かけます。素敵な作品も沢山ありますものね。
 しかし、本来は、短冊を四等分にして上を四分の一あけます。上の部分には題を書き入れるためです。

b0019759_19274361.jpg 「三つ折り半字がかり」といわれ、書き出しは最初の折り目(四等分なので折り目は3つですものね)に半分だけ字がかかるようにするそうです。それで、「半字がかり」というわけなのです。
 3句目で1回目の墨を継ぎ、2行目は1行目より高くならないように気をつけて、下の句14字を書くとされています。5句で2回目の墨継ぎをして落款(名前)まで一気に書くのです。

 読める字を(読めない字を書いている?)書くようにと言われましたので、せっかくですから本来の位置に文字をのせて、左の短冊にいたしました。あまり崩さないで作品にするのは案外難しいものですが・・・ちょっと名前が小さいかもしれません。(婦人は謙遜して落款を裏へ書いたとされていますので、私も謙遜・・・)短歌には本名を、俳句や漢詩には雅号を書くのが慣例だそうです。

 自分の短歌ではなく古歌を書くときには、上の部分へ作者の名前を入れたり、題を入れない場合はもう少し狭く余白を取ります。そして、最後に 「□□かく」と入れて(入れない時も)雅印を押します。

 いろいろと調べてみると、今は自由に使われている短冊にもきまりがあり、興味深いものです。四分の一までとはいかなくても、やはり上の余白はしっかりと取った方が美しいと思うのですが・・・

 今回は黄色の短冊を使いましたが、黄色は秋の色だそうです。(うん、うん、でも夏のうた・・・)
こちらのサイトで詳しく説明されていますので、ご覧くださいませ。


   跳ね上がり光るイルカのむこうがわ
          納涼船の赤き灯し火 ○○

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by sumi-moji | 2005-10-16 19:58 | ◇書◇の豆知識

舞の字

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 また詳しく書きますと、言ってしばらく経ってしまった「舞」の字のこと。

   -ブ-
    -まう・まい・おどる・はげます-  

<無><舛>からなり、<無>は舞う人の形。
                <舛>は左右の足が外に向って開く形とあります。
 
 ト文や金文では<無>を<舞>の意に用いていました。のちに<無>が有無の意味に用いられるようになり、下に舞うときの足の形を示す<舛>を加えて「舞」の字が作られたそうです。
 もともと、<舞>や<楽>は神事に通じていたものです。

 「舞楽のことはすべて神事に起源し、のちに民間に伝承された。巫舞(ふぶ)のことであるから、法文を曲説することを舞文という。」とあり、このことを知ると、 "舞文"が<①法文を勝手に乱用すること。②自分の都合のよいように、たくみに文辞をもてあそぶこと。>とあるのもうなずけますね。私たちの知る
<舞う>から"舞文"の意味は到底考えられませんもの・・・
                               (資料:字統/広辞苑)
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by sumi-moji | 2005-10-11 22:48 | ◇書◇の豆知識

代々の儒者「市河米庵」

 10月1日の書道新聞の「江戸の儒者」と題した記事で、丁度「市河米庵」のことを読んだ時に、米庵が書いた阪出墾田之碑(市河米庵 書)の写真とこの碑について説明を見ることができました。

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by sumi-moji | 2005-10-07 22:55 | ◇書◇の豆知識