1年間楽しみにしていたのですから、ワクワクしながら電車を降りて目的地までの春風を心地よく感じながら歩きます。
降車駅は「都府楼前」。大宰府政庁跡です。
書逍遥のtianpianさんに教えていただいた"日下部鳴鶴"による石碑にやっとご対面です。右が最も新しい石碑、左側がお目当ての石碑・・・先客がいらっしゃいます。
表面はよく触られたのでしょうね・・・かなりすべすべしています。
立派な楷書!!舐めるようにみている私の見つけたもの・・・
これは私の雅号の一文字「悠」。そして、確かに「日下部東作書」と刻されています。
この「大宰府政庁跡」ではボランティアの方から周辺の歴史を伺うことができます。<
太宰府市文化ふれあい館>では石碑の拓本を見ることができるとのことです。そして、周辺の歌碑や石碑を研究しているボランティアグループもあるそうです。
太宰府の歌碑に詳しい友人と思いを馳せたのは、鴻臚館(こうろかん)沖に着いた船から降り立った唐や新羅の使節のこの地までの足取りのこと。
そして、大宰府政庁跡の後に見える四王寺山の
大野城跡のこと。唐・新羅から大宰府を守るために作られた山城ですが、新羅に滅ぼされた百済の人、憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくふ)が指揮をして作られたのだと聞きながら、春の陽だまりの中でゆっくりと歴史を感じます。